2013年3月23日土曜日

Boys, be ambitious.



私が高校生の時に取っていた歴史の授業は少し変わっていて。

50歳前後の女性の先生だったのですが、歴史上の人物の「教科書に載ってないような背景やエピソード」をよく話してくれる先生でした。

その先生が言うには。
「歴史の面白いところはね。
なぜこの人は、この時こういう行動を取ったのか。もしこの時に違う行動をしていたら歴史も、今の日本も、変わってたかもしれない。
なんて事を想像して、では自分ならどうしていたか。
そうやって色々考える事ができるから面白いのよね。」

などと言いながら、当時公開されていた歴史を扱った映画の女優さん批評なんかもしちゃう御茶目な人でした。
「あの女優さんは決して美人ではないけど眼が良いわネ。オーラが美しい!」と力説されていたのを覚えてます。

もともと私も歴史は嫌いなほうではなかったけど、この先生と出会ってからは歴史上の人の心理や背景に興味を持つようになったように思います。

っで、その先生が言っていた言葉。
「昔の人が残した言葉にはね。本当に深くて大きな意味があるのよ。」と。
そして
「例えば、授業でやったクラーク博士の”Boys, be ambitious.”(少年よ、大志を抱け)。
これもね。よく考えると本当に深くて大きな意味があるのよ。
でも私が簡単に言ってしまったら意味がないから、あなた達がこれから大人になっていく過程で、もしこの言葉を思い出したら。
その時に考えてみてね。」
。。。のような事を仰ってたような気がします。

”Boys, be ambitious.”。。。当時は言葉をそのまま捉えて、「大きな野心、目標を持て」って感じに捉えてたけど。
社会人として今までたくさんの色んな人と一緒に仕事をしてきて。
少し捉え方が変化したかも。

これは、『志』 すなわち 「何かをやり遂げる揺るぎない意思」 を持てという意味ではないか。
「有名になりたい」とか「お金持ちになりたい」というような野心も、その先に『志』があるのなら悪くない欲なんだと思います。
人間のそういう飽くなき欲求が資本主義社会の原動力になっているのも事実ですし。

ただ、『志』 もなく、
「有名になって皆から自分を認めてもらいたい」や
「大金持ちになって贅沢三昧したい」のように
それが最終目的になってしまって、単純に己の私欲のみに向かって進むと、
それを手にした途端に今度はそれを失う恐怖に捕らわれ、怯え、自己保身にひた走る人生になってしまう可能性があります。

『揺るぎない志』があれば、たとえ、それまで手にしたモノを手放したとしても、また前に進むことができる。
それは、いうなれば。何度でも立ち上がる精神的強さを持つ事にも繋がるんだと思います。

もし、「自分が何でここにいるのか、本当にやりたい事も解らなくなって、流されているうちに迷い込んだ」。そんな気持ちになったとき。
一旦立ち止まって、じっくり考えてみるのもいいかもしれません。
何か一つ。揺るぎない『志』を。

「Boys, be ambitious.」。。。今の私はこんな風に捉えていますが、10年後の私はまた違った捉え方をするのかな。楽しみであります♪

2013年3月4日月曜日

3.11「東日本大震災」によせて。2013



たくさんの人に大きな悲しみや苦しみが襲うような災害や事故、事件があった時、
「何か自分に出来る事はないか?」こう思う人は多いと思います。

3.11の震災があって、もうすぐ2年。
報道されずとも、たくさんの様々な人が地道に活動されているように、自分も今後も「続けてやっていける事は何か」をずっと考えています。

「鍵盤を弾くこと」は、今は、私の「仕事」であって、精一杯、スキルを日々高めて、それを活かせるように強い精神力や深い想像力を養っていくのは、当然のことで。
これは、あくまでも私に関しての事ですが、「鍵盤を弾くこと」で以て「続けてやっていける何か」を考えるのは少し違う気がします。
(「縁」が導いてくれた場所なら、何が何でも馳せ参じるつもりですが。)

今の自分が、人として、大人の責任として、続けてやっていける事は何なのか。

歴史上だけでなく、自分が生きている時代に起きている、多くの紛争、戦争、事故、汚職、腐敗、テロ、そして災害。
その度に、己の無知を思い知り、調べ、考えて、見えてきたもの。

この混沌とした人の世の中で、未来の可能性を秘めているのは、やはり子ども達です。
その子ども達に、自分の人生の中にある限りの「考える力や生きる知恵」「想う心」を伝えていけたら。
強く賢く「想う勇気」を持ち、逃げない大人になってくれるように。

誰が、どんな心理状態の時に、どういうタイミングで見るかわからないインターネットですが、
偶然にでも私のブログにたどり着いてもらえるのも、やはり何かの縁です。

私ごときの人生の中で、どれほどの事を伝えていけるかはわかりません。
それでも、自分の心が何かを学ぶ度に、何かを得る度に、その経緯や関わってくれたヒト、モノを惜しむ事なく、このブログに書き記そうと思います。
気の遠くなるような間接的なことかもしれませんが。
大小無数の歯車が噛み合って、遠い所にある歯車が少しでも動いてくれる事を願って、私は記し続けようと思っています。

長い時間をかけて想い巡らし、今の私が行き着いたのが、これだけというのも少々情けなく感じないでもないですが。
でも、ゴールはないと思っています。
今後も色んな本を読んだり、色んな事に興味を持って少し踏み込んでみたり、色んな人に出会ったり。。。そうしているうちに、また新たな答えを見つけられるといいなと思います。