最近、老人ホームの慰問ステージの仕事をさせて頂く機会がありまして。
フルートとピアノのデュオで童謡、昭和歌謡、ジャズ等、なるべく一緒に歌ってもらったり手拍子してもらえるように工夫してやってみました。
演奏後、数人のご老人とお話させて頂いたのですが、喜んで頂けた上に、曲に因んだ想い出話も聞かせていただいたりして、お一人お一人の人生を少し垣間見せてもらったようで、嬉しいような愛しいような、なんとも不思議な気持ちになりました。
ただ、少し気になった事があります。
たくさんの施設を訪れたわけではないので一概には言えないかもしれませんが。
老人ホームのご老人の中には大きく分けると、介護が必要でも「なるべく前向きに生きようとされる方」と「何かもう諦めたように与えられる事だけをこなしている方」がいらっしゃるように思いました。
そのモチベーションの持ち方の違いは何なのだろうと後になって思い返してみると。
生き方が前向きに見えるご老人は、あくまでも話した印象ですが、「考えること」や「工夫すること」にあまり抵抗を感じていらっしゃらないのでは、と。
「もう年だから無理。」という言葉を時々聞きますが、これは、もしかしたらご本人がそう思い込んでらっしゃるだけで、そう思い込むことで「何かできるかもしれない可能性」を自ら放棄しているようにも感じます。
では、その「考える力」や「工夫する力」はどこから生まれるのかを私なりに考えてみると。
それは、普段の生活や仕事で、そういう「脳」を少しずつ作っていく事ではないかと、思い至りました。
例えば。
習慣化してしまっている家事のやり方でも、少しの工夫で劇的にやりやすくなったり時間短縮できたり。
(私は百円ショップのお掃除コーナーや収納コーナーで、よくその刺激をもらってます。)
こうしたほうが見た目に気分が上がる、ここにコレを置いておけば何かのついでにチャチャッとできそう、とか。
ジャズピアノの訓練も、少し似た所があります。
白鍵と黒鍵を自由に操れるように「脳を少しずつ作っていく作業」というのがジャズピアノには不可欠で、その作業も基本以上へ進もうと思うと、「こうしてみるとイケるか?」とか「こう訓練すると応用範囲がひろがるかも」というように自分で工夫していかなければ発展していけません。
そういう私もまだまだ発展途中ですが。
高齢者人口が今後もますます増えていくとされる日本で、「誰かに守ってもらえる」「誰かに与えてもらえる」というような考えは、遅くとも私の世代が高齢者になる頃には通用しなくなってると思います。
自分の人生を充実した人生にしていけるかどうかは自分次第で、高齢者になってもそれは変わらないと思うんですね。
日々のちょっとした工夫で、なるべく楽しみながら「脳を作り育てて」しなやかな脳にすることによって、ひょっとしたら老後の人生も大きく変わってくるかもしれないなぁと、慰問ステージをやって思いました。