2014年12月6日土曜日

意志を明確にしていく為に。



ポッと降って湧いた感が否めない今度の選挙ですが。
皆さん、行かれますか?

私は30歳を過ぎた辺りからずっと選挙は必ず行ってます。
なぜか。
それはひとえに次世代への責任感からです。

今の大人の考え方や行動は、子ども達へそのまま伝わります。
自分の欲や個人の関心事ばかりに気を取られて、「未来への責任感」や「心の勉強」をなおざりにしてると、子ども達もそれに倣います。

今の子ども達が大人になって、またその次の世代へ、命が繋がれていくと共に伝えていかなければいけない事はたくさんあります。
それは親だけの役割ではなく、全ての大人の役目だと思うんですね。

たった1票で何も変わらないとおっしゃる方もいます。
そりゃそうです。今の自分の生活や日本社会がそう簡単に変わるはずありません。

大事なのは、大人一人一人が「次世代のために何ができるのか」「この国がどうなっていくことが望ましいのか」を
真剣に考えるということなんだと思います。

選挙はその良い機会だと思うんですね。
候補者の目つき、顔つき、政策の内容、政策に対する気持ちの強さ。
その主張が本物かハリボテかを見抜けるかどうかは、私達大人一人一人の「目」にかかっています。

いいかげんに選んでしまうと、かの「号泣の人」みたいな人が当選してしまうという恐ろしい事態を招きかねません。

大人の責任として、自分の意志を明確にしていく為にも、選挙を活用してみるのも良いんじゃないかと思います。
自分が生きる価値をそういう形で培っていくのも、なんかどこか清々しい感じがしませんか?


[冒頭の写真は庭の椿。たしか椿ってツツジみたいに蜜を吸えるんですよね♪]

2014年10月18日土曜日

本の力



人は誰でも、辛い事や苦しい事を一つや二つ、もしかしたらそれ以上、抱えながら生きていると思います。
どんなに幸せそうに見える人でも必ず、大なり小なり何かを抱えて生きていると、私は思っています。

自分の周りで、一人で抱え込んで苦しそうな目をしてる人を見ると、少しでも心が楽になったらいいなと真剣に思います。

もちろん私も人間ですから、抱え込んで苦しくなる時もあります。
そういう時、私は「本」に救われてきたことが多いです。
もちろん、私の中に「前を向く力」が必ずあるはずだと静かに信じてくれている「家族」や「友」の存在も大きいですが、それでも「踏み出しの一歩」の心の力が欲しい時、本がそっと背中を支えてくれる事が多いのです。

普段本を読む方は、その魅力に気付いてらっしゃる方も多いかもしれませんが、改めてここで書かせて頂きます。

私は、様々な本の中の言葉に何度も助けられ、その度に心が強くなり、少しずつ自分を肯定的に受け止められるようになり、そのうち、「人を敬う心」が自分の中で育っているのを感じるようになりました。

もし、このブログを読んでくださってる方の中に、心が疲れて何かに寄りかかって少し休みたいと思ってる人がいらっしゃったら、ぜひ何か本を手に取ってみてください。

何を手に取ればいいかわからない方には、ラベル(カテゴリ)の中の"book"に数少ないですが「徒然草」「福翁自伝」等々、私が救われてきた本を紹介しています。

他にも、ここ数年で私が心に力を貰えた本の作者には
池上彰さん、瀬戸内寂聴さん、養老孟司さん等々、挙げるとキリがないほどいらっしゃいます。
そうやって作者の方の人生の片鱗を見せて頂き、自分の価値観や考え方を広げていくきっかけやヒントをたくさん貰いました。

そういえば、歴史上にも心に沁みる言葉を残してくれている方がたくさんいらっしゃいますね。
例えば

マザー・テレサ
「愛されることより愛することを。理解されることよりは理解することを。」
「人間のほほえみ、人間のふれあいを忘れた人がいます。これはとても大きな貧困です。」

ナイチンゲール
「愛というのは、その人の過ちや自分との意見の対立を許してあげられること。」
「天使とは、美しい花をまき散らす者ではなく、苦悩する者のために戦う者である。」

キング牧師
「許す力に欠けているものは、愛する力にも欠けている。」
「人は、個人的な狭い関心事を越え、人類全体に関わる広い関心事に向かうようになって初めて本当の人生を歩み始めるのである。」

これらはたくさんある言葉の中のほんの一例ですが、
人生の大先輩達の残してくれている言葉は「心の快復剤」となるような言葉がたくさんあります。


辛く苦しい思いをしている方の心にとって、少しでも前を向く力の手助けになりますように。



[冒頭の写真は近所にある総合公園の紅葉。赤くなるのはもう少し先ですね。]

2014年9月16日火曜日

今の自分を好きですか?


何年か前に、ある女性芸人さんがテレビで「自分をほんまに好きになれる方法、知ってんねん!」
と仰ってたことがあるんです。

ここでいう「自分」とは
SNSとかで「いいね!」をたくさん押してもらえるとか、周りの人から「凄いね!」とか「羨ましい!」と言ってもらってる〈他人目線〉の自分のことではなくて、〈自分目線〉で見た自分のことです。

彼女曰く
〈自分目線〉で自分を好きになってくると、他人と自分を比べることも減っていき、自分を肯定的に受け止められるせいか「嫉妬」という感情も持ちにくくなり、結果、人を受け入れる余裕ができて、人との関係も心地良くなり、人生に前向きになっていくと。
良いことだらけですね。

その芸人さんは何かの本で読んで始められたそうですが。
「自分を本当に好きになれる方法」、それは「家の中のどこか一ヶ所だけ、いつでもピカピカにキレイにする習慣をつける」ことだそうです。

これは、たくさんある方法の中の一つかもしれませんが、私はこれを実践して本当に自分のことが好きになってきました。

私はまず洗面台周りから始めました。
昔は仕事が忙しくて疲れてる時とか「今度の休みにキレイにすればいいや」っと、ついつい先延ばしにしてたのですが
その芸人さんの言葉をきっかけに、洗面台を使う度に「鏡に跳ねた水滴や蛇口周り」を拭き取って、本当にいつでもピカピカにしました。

同居してる人が歯磨き粉の泡を飛ばそうが洗面台をビチョビチョにしようが関係ありません。
「ここは私の聖域」と言わんばかりに、とにかく洗面台だけは自分が使う度にキレイにしたのです。

そのうち、ちょっと視野が広がって、電球の上や棚上の見えない所もついでに拭き取るように。
そんなことを習慣にして数年が経つと、いつの間にか洗面所全体が、そしてトイレ、キッチン、リビング等、ちょっとしたとこに気付く度にササッと掃除できるようになりました。

「休みの日にまとめて掃除→まとめてやって疲れて→掃除が嫌い」だったのが、今では「目についたらササッと→苦にならなくなる→掃除が好き」になったんですね。
家をキレイにキープできることが、こんなにも自分の自信に繋がるとは思ってもいませんでした。

「掃除」って結局、どこまで「目が行き届くか」に尽きると思うんですね。
普段見えない、見えにくい所が汚れている事をどこまで想像できるか、それは、そのまま「心の鍛練」にも繋がります。

掃除の目が行き届く範囲が広がっていくのと平行するように、「人の心」に対する想像力も広がっていく気がするんです。

そうなってくるともう「自分を好き」とかの次元じゃなくて、「この生き方、考え方で良いんだ」という自信に繋がってきます。

「お掃除の達人級」の方からすれば、「何を今さら」的なことかもしれません。
ハウスキーピングの観点からも、自分はまだまだなのも自覚してます。
ただ
私の場合は「掃除」でしたが、何でもいいんだと思います。小さなことでも「何かが良くなるために何かを続ける」ことが大事なんだと。

仕事が立て込んでしまって、体力気力ともに限界な時はどうしても手抜きしてしまいます。
それでも洗面台だけはピカピカを死守します。自分を嫌いになりたくないんで(≡^∇^≡)

最後に僭越ながら。
疲れきっていても、お掃除心を後押ししてくれるアイテムを少しご紹介します。
まずは、以前このブログでも紹介した「マイクロファイバーお掃除手袋」。
これは本当に便利です。
一度この手袋をつけると洗濯機に入れるまでに「あ、ここも。あ、あそこも拭ける」とついでにやってしまうところが良いんです♪


もう一つは冒頭の写真。
一つ100円の麻カゴと5枚で100円の雑巾(税抜き)。
キッチンと洗面所に置いてます。ちょっと汚れたらすぐ拭き取り、雑巾が汚れたら洗濯機へポイッ!
雑巾を洗って絞る作業をだいぶん省略できます♪

2014年8月28日木曜日

引き継ぎ、受け渡す。


今、【日本史の謎は「地形」で解ける】という本を読んでいます。
(今回は[book]カテゴリーではないので本の写真はなしです。)

信長、秀吉、家康がなぜ今の大阪城が建っている「土地(本願寺跡)」を巡って血みどろの戦いを繰り広げたのか。
なぜ頼朝は京ではなく鎌倉に幕府を開いたのか。

歴史を動かしてきた名武将が欲した土地には、彼らが欲しがる理由がありました。
攻められにくい地形、農地を開拓できる土地、災害の起こりにくい地形など・・・。
山の多い日本では、条件の良い土地を手に入れること=生き残るということだったんですね。
この本を読んでいると、彼らがいかに日本の地形を把握し、考えながら戦っていたことがよくわかります。

しかし、良い条件の土地でなくても、先人達は多くの災害や悲劇を経験しながらも、考え、工夫し、これまで生命を繋いでくれました。
この長い日本の歴史の中で、先人達が体験し、知恵を絞ってくれたからこそ今の日本がある事は、歴史を知れば知るほど、その重みが伝わってきます。

私たち大人ができることは、「悲劇を繰り返してはいけない」と一生懸命に知恵と知識を残そうとしてくれた先人の想いを引き継ぎ、その想いを次世代に受け渡す事だと、この本を読みながら再確認しています。

何を、どれだけ、どう伝えていくかは、今の大人の肩にかかっていると思います。
そのさじ加減は、やはりその時代を生きる人間が考えるべきことで。
ここでもまた、「考える事をやめてはいけない」と強く思うのでした。

2014年8月11日月曜日

今年もヒマワリ♪


毎年植えてるミニヒマワリ。
今日やっと花が咲きました♪
今年は咲くのが遅かったなぁ。。。なんでだろう?

毎年この時期に書いてる気がしますが、
私が2011年以降毎年ミニヒマワリの種を植えている理由は
3.11のことを忘れないためと、「考えること」を止めないためです。

いろんな噂やニュースを聞いたとき、しっかりとした自分の人としての軸を土台にして、自分はどう思うのかを考える。
慌てて踊らされて、浅はかな考えに走らないように。

そして何より、「人の人生」の重みを考えられるように。


2014年7月30日水曜日

食。

(本日の収穫♪)

なるべく、食事は自炊を心がけています。
今は夏なので自前畑の穫れたて野菜も毎日食べます。

こんなことぐらいで食の安全を確保できるわけではないんですが
それでも、そんな生活を続けていると、たまにジャンクフードみたいなのを食べると少し胸焼けするようになりました。
ジャンクフードって美味しそうでそそられるんですけどね ( ̄∇ ̄ )ゞ

この前、久しぶりに近所のスーパーのお弁当を買って、中の卵焼きを少し食べてみると、「ん?」ちょっと違和感が。
もう少し食べてみると。
脳の中で「それ以上食べるな」って警告音が鳴ってる気がする。
結局3分の2ほど食べて止めておきました。

その後、お風呂に入ると手と足が赤く張ってきてですね。
・・・蕁麻疹です。

あれは、卵焼きのようで食感や匂いがちょっと違う。
私は卵アレルギーではないので、あの卵焼きには何か混ぜ物があるんじゃないかと。
検証のため、しばらく経ってからまた同じお弁当を買ってきて卵焼き以外全部食べた。・・・なんともなかった。
再度検証のため、またしばらく経って、今度は卵焼きを少しかじった。・・・蕁麻疹が出た。
決定、か。
(ちなみに一緒に食べてたもう一人は何もなかったので、人にもよると思います。)
これからは、何となく違和感を感じるものは食べないようにしよっと。やっぱり自分で作る方がいいや。


「食事」は長年の積み重ねで、心や体が良い方にも悪い方にも転がる大切な行為です。
材料を選び、料理し、ありがたく食し、片付ける。この各行程には人としても成長出来る要素がたくさん詰まっていると私は思っています。

「食育」に関する本もたくさん出ていますが、人格が育っていく過程でもとても重要な「食」。
その大切さをわかっているだけでも、10年、20年、30年先、生き方が大きく変わってくると思います。


2014年7月8日火曜日

考える

(黄トマトが色づいてきました♪)

同意してくれる人の数の多さや人から賞賛される事とは関係なく、しっかりとした自分自身の考え方を持つ事は本当に大事なことだと、最近よく思います。

自分の脳でしっかりと考えるという事は実は凄く難しいけれど、「学ぼう」という気持ちがあれば、少しずつでも脳は鍛えられると私自身は思っているし、実感もしています。

こういうことを教えてくれたのは普段愛読させて頂いている「Chikirinさん」という方の「Chikirinの日記」というブログでした。(数年前に本当に偶然の巡り合わせで見つけたブロガーさんです。)

読んでいて時々「それは強気だなぁ。」と感じる時もありますが、「脳の基本的な使い方」という部分では深く共感することが多いです。

今後、世の中がどう動いていくのか。
先の読みにくい時代だからこそ、「知識」よりも「思考」が重要になってきているということが、ブログを読んでいて犇犇(ひしひし)と伝わってきます。(もちろん知識も脳にストックしていくことは必要だと思います。)

Chikirinさんの著書のタイトルには『自分のアタマで考えよう』『未来の働き方を考えよう』など、「考えよう」という言葉がよく出てきます。

インターネットのお陰で情報や知識はすぐに得られるような状況で、「自分で論理的に考える」ということは本当に難しい事かもしれませんが、
視野を広げて、興味を持つ範囲を広げ、シナプスを鍛えて、思考力を養っていくことは、今後生きていく上で本当に必要になっていくと、Chikirinさんのブログは思わせてくれるんですね。

生まれてきた時からインターネットがある世代の人には特に、この「思考力」を武器に時代を生き抜いていく力を持って欲しいと、僭越ながら思う次第でございます。

私はこういう事の勉強を始めたのが遅かったので、未熟でまだまだ物事の認識も甘いと思うのですが、
「学ぼうとする気持ち」は何歳になっても持ち続けたいし、少しでも脳を鍛えて自分のアタマで考える生き方をしていきたいです。


2014年6月9日月曜日

仕事に効く教養としての「世界史」


リンクは貼っていないのですが、私には日頃愛読させて頂いているブロガーさんが何人かいます。
その中の一人に、Chikirinさんという方がいて。(Chikirinさんについてはまたいずれ♪)

数年前、とある所でChikirinさんの対談記事を見つけて、その対談相手の出口治明さんという方の話がとても印象深かった事がありました。

そして今年始めだったか、出口治明さんが会長をされている会社のweb対談のコーナーで、私が今後是非関わりを持ちたいと思っている児童福祉のNPOの責任者の方がインタビューされているのを、たまたま見つけました。
(このNPO法人についてもまたいずれ♪♪)

そこから何かと私が興味を持つ場面場面で「出口治明」という名前を、ちょくちょく見かけるようになっていたのですが。

先日本屋さんで【仕事に効く教養としての「世界史」】という本を見つけ、少しパラパラっと覗いてみると、
非常に興味深い!
勢いで著者の名前もよく見ずに購入しました。
家に帰ってじっくり見てみると、なんとその著者が出口治明さんだったんですね♪

実に短絡的ですが何か運命めいたものを感じます(^∇^)

そして、その本ですが。
とにかくわかりやすい!
歴史を学ぶことの「意義」が最初から最後まで一貫していて少しもブレないのもカッコイイ。

「人間は目先の欲望には弱い動物ですから、高度成長で楽をしようという人がいつの時代でも圧倒的な多数派で・・・(p103参照)」

「先人に学べ」とは昔からよく聞きますが、教師としても反面教師としても「歴史」は本当に良い先生です。

地球上の歴史を学び、人間の変わらない本質的な部分と世界の国々のこれまでの相対的な流れを知ることによって、多面的な「眼」を養い、
これから日本はどういう方向へ流れようとしているのかを予測する。

自分の周りの情勢の流れをコントロールすることはできなくても、歴史を知って先人に学ぶことによって自分はこれからどう立ち振る舞えるのか、その方向性は見えてくると思うんですね。

その取っ掛かりとして、この本はドンピシャな本だと思いました。
「視野を広げたい」、「人任せにするのはそろそろ終わりにしなければ」。そんな気持ちが少しでもあって、まだ読まれていない方に、是非♪


2014年4月20日日曜日

「苦労を分け持つ心」


最近は少しバタバタしているので畑や庭の世話がなおざりになってしまってます。
でも、昨年咲いた花の種が落ちて、また花をつけてるのを今朝見つけて、ちょっと嬉しくなりました♪

いつもの仕事に加えて、今はミュージカルの仕事もあって、起きる時間が普段より少し早いので
毎朝聞いてるラジオも、いつもより早い時間帯の番組です。

その番組内で毎回、ほんの数秒ですが「瀬戸内寂聴さん」の言葉が流れます。
先日、朝の準備をしながら耳に入り込んできた言葉が

「人の役に立てなくても、
 苦労を分け持つという意識を持ってください。」

ほんとに、スーッと心に響く素敵な言葉だと思いました。
「苦労を分け持つ」。
こういう心を地球上の全ての人が少しでも持てたら、小さな争いも大きな争いも、なくなっていくかもしれないなぁと。

人を手助けできたり支えたりできた時、その後に湧き出てくるジンワリした心の温かみは他の何にも代えられない幸福感です。
「苦労を分け持つ」ということは、そういう幸福感を直に感じられるかどうかはわかりませんが、巡り巡っていつか世の、人の役に立っていくことだと思います。

心に余裕のない時は難しいと思いますが、余裕のある時だけでもこの言葉を思い出せると、きっと人生の幅も少しずつ広がっていくんじゃないかと思うんですね。

早起きして、こんなに素敵な言葉に出会えるなら、早起きも悪くないなと思いました♪

2014年3月12日水曜日

3.11「東日本大震災」によせて。2014


私は関西出身で、東京に出てきたのは大学卒業後数年経ってからなんですが。
「人としての基礎」もできてないままフリーの世界で生き始めたものだから、右も左も分からない状態で、本当にいろんな所でたくさんの人に迷惑をかけ、たくさん頭を打ち、人の温かさや冷酷さを肌で感じながら、なんとか今までやってこられました。

そんな中、震災があって、いろんな感情に脳を支配されそうになりながらも、まずは自分の考え方を根本的に見直さなければならないと思いました。
そして、もっと物事を深く広く捉えられるように「人としての確固たる基盤」を持ちたい、と「心の勉強」を始めました。

「脳」「哲学」「死生論」「家族論」「青少年の心理」「終末期医療現場にたずさわる方々の心理」・・・等々。
最初はそういう本を読み始め、それだけでは飽き足らず、ついには大学で講義を受けたことは、このブログでも少し書きました。

そうしていくうちに、自分の人生にとって「何が必要で、何を大事にしていきたいのか」がハッキリしたように思います。
そして。
自分の心の基盤に自信がついたせいか、人からの評価があまり気にならなくなり、自分も人を評価するということがなくなってきました。

すると不思議なことに、人との関係も心地の良い関係が増えてきたように思います。
心を通い合わせられる人との出会いが増えてきたというか。
あと、密かに感じていることは、もしかしたら自分が奏でる音や演奏にも微妙な変化が起きているかもしれません。
この前、仕事で5時間にもおよぶJAZZとFUNKの大セッションがあったのですが。
けっして音環境が良かったわけではなく、トイレ休憩を挟みながらもほぼ5時間ピアノを弾きっぱなしだったけど、他のメンバーの音との交わり感が凄く気持ち良くてですね。
久しぶりに、本当に久しぶりに、もの凄く楽しくて幸せな時間でした。

これは、「自分が変われば周りも変わる」ということの実体験ですね♪

もう一つ。
私の中での大きな変化は、心のどこかでいつも追い求めていた「志」が見えてきたことです。
それは
受け継いだり学んだ事を伝え繋げ、人として培った大切なモノを少しでも次世代へ受け渡していく為に、自分の人生を使いたいと思うようになったこと。

これは大人として当然といえば当然なのですが、より現実的な「志」として心に強く持つようになりました。

その為にできる精神的な事は、
「自分の心の扉」をできるだけ大きくしていくために「知っていくこと」。
「知らない、知ろうとしないこと」は無駄な負の感情(不安や怒り、妬み等)に繋がると思うので。
そしてなるべく「学ぶべきところは学ばせて頂く」という気持ちで人と関わっていくこと。

そして物理的な事は、いろんな子供達との関わりを持てる機会を模索していくこと。

昨年、このブログに書いた【3.11「東日本大震災」によせて】からまた1年、ほんの少し前へ進めた気がします。

2014年2月13日木曜日

脳を作る。


最近、老人ホームの慰問ステージの仕事をさせて頂く機会がありまして。
フルートとピアノのデュオで童謡、昭和歌謡、ジャズ等、なるべく一緒に歌ってもらったり手拍子してもらえるように工夫してやってみました。

演奏後、数人のご老人とお話させて頂いたのですが、喜んで頂けた上に、曲に因んだ想い出話も聞かせていただいたりして、お一人お一人の人生を少し垣間見せてもらったようで、嬉しいような愛しいような、なんとも不思議な気持ちになりました。

ただ、少し気になった事があります。
たくさんの施設を訪れたわけではないので一概には言えないかもしれませんが。

老人ホームのご老人の中には大きく分けると、介護が必要でも「なるべく前向きに生きようとされる方」と「何かもう諦めたように与えられる事だけをこなしている方」がいらっしゃるように思いました。

そのモチベーションの持ち方の違いは何なのだろうと後になって思い返してみると。
生き方が前向きに見えるご老人は、あくまでも話した印象ですが、「考えること」や「工夫すること」にあまり抵抗を感じていらっしゃらないのでは、と。

「もう年だから無理。」という言葉を時々聞きますが、これは、もしかしたらご本人がそう思い込んでらっしゃるだけで、そう思い込むことで「何かできるかもしれない可能性」を自ら放棄しているようにも感じます。

では、その「考える力」や「工夫する力」はどこから生まれるのかを私なりに考えてみると。
それは、普段の生活や仕事で、そういう「脳」を少しずつ作っていく事ではないかと、思い至りました。

例えば。
習慣化してしまっている家事のやり方でも、少しの工夫で劇的にやりやすくなったり時間短縮できたり。
(私は百円ショップのお掃除コーナーや収納コーナーで、よくその刺激をもらってます。)
こうしたほうが見た目に気分が上がる、ここにコレを置いておけば何かのついでにチャチャッとできそう、とか。

ジャズピアノの訓練も、少し似た所があります。
白鍵と黒鍵を自由に操れるように「脳を少しずつ作っていく作業」というのがジャズピアノには不可欠で、その作業も基本以上へ進もうと思うと、「こうしてみるとイケるか?」とか「こう訓練すると応用範囲がひろがるかも」というように自分で工夫していかなければ発展していけません。
そういう私もまだまだ発展途中ですが。

高齢者人口が今後もますます増えていくとされる日本で、「誰かに守ってもらえる」「誰かに与えてもらえる」というような考えは、遅くとも私の世代が高齢者になる頃には通用しなくなってると思います。
自分の人生を充実した人生にしていけるかどうかは自分次第で、高齢者になってもそれは変わらないと思うんですね。

日々のちょっとした工夫で、なるべく楽しみながら「脳を作り育てて」しなやかな脳にすることによって、ひょっとしたら老後の人生も大きく変わってくるかもしれないなぁと、慰問ステージをやって思いました。

2014年1月24日金曜日

グリーンスムージー1周年、経過報告♪


実は、昨年の1月24日から毎日、グリーンスムージーを作って飲んでいます。
この1年で、どうしても作る時間がなくて飲めなかった日は7、8日ぐらいかな。

「グリーンスムージーを飲んでます」っていうブログは時々見かけますが
その効果というか、実際に身体にどんな変化があったというブログはあまり見かけないので、
ちょいと載せてみることにしました。

まず劇的に変わったと実感していることは、「立ちくらみ」をしなくなったということ。
グリーンスムージーを始める前は、壊れたテレビの砂嵐のような立ちくらみをよくしていたのですが。
今は全くなくなりました。

次に効果を感じているのは、便秘をしなくなったということ。
飲み始めて6ヶ月ぐらい経った頃、毎日安定して快腸なことに気がつきました。
そのせいか、顔の頬骨辺りの肌に艶が出てきて、今では吹き出物とはほぼ無縁に♪

そして、これはかなり個人差があって、女性同士でも理解し合えないことがありますが。
私は生理痛がかなり楽になりました。
これはグリーンスムージーを飲み始めて8ヶ月ぐらい経った頃から、鎮痛剤を飲まなくてもなんとかやり過ごせるようになりました。

今のところ実感しているのはこれぐらいかな。

ということで、私のグリーンスムージーのレシピを載せておきます。ご参考まで。

〈グリーンスムージー 2人分〉

・リンゴ半分
・バナナ1本
・黒すりごま 大さじ1杯
・サトウキビ原料のオリゴ糖シロップ 大さじ1~2杯
・小松菜1株強(たまに水菜に変えたりします。)
・水 約350cc

以上をジューサーで1分ぐらい粉砕して、出来上がり♪

ちなみに、小松菜は値段が安い時に2、3袋買って、薄い酢水でつけ置き洗いし(5分ぐらい)
野菜水切りカゴで水気を切った後、長さを3~4等分に切り分けてジップロック等の保存袋に入れて冷凍保存します。
これで10日間ぐらいは使えます。

私はサプリメントは苦手なので、こういう手軽な食材でできるジュースは合っているのかもしれません。
おばあちゃんになっても元気に気持ち良く生きていける身体作りを、今後も無理のない程度に続けていきたいと思います♪