2014年6月9日月曜日

仕事に効く教養としての「世界史」


リンクは貼っていないのですが、私には日頃愛読させて頂いているブロガーさんが何人かいます。
その中の一人に、Chikirinさんという方がいて。(Chikirinさんについてはまたいずれ♪)

数年前、とある所でChikirinさんの対談記事を見つけて、その対談相手の出口治明さんという方の話がとても印象深かった事がありました。

そして今年始めだったか、出口治明さんが会長をされている会社のweb対談のコーナーで、私が今後是非関わりを持ちたいと思っている児童福祉のNPOの責任者の方がインタビューされているのを、たまたま見つけました。
(このNPO法人についてもまたいずれ♪♪)

そこから何かと私が興味を持つ場面場面で「出口治明」という名前を、ちょくちょく見かけるようになっていたのですが。

先日本屋さんで【仕事に効く教養としての「世界史」】という本を見つけ、少しパラパラっと覗いてみると、
非常に興味深い!
勢いで著者の名前もよく見ずに購入しました。
家に帰ってじっくり見てみると、なんとその著者が出口治明さんだったんですね♪

実に短絡的ですが何か運命めいたものを感じます(^∇^)

そして、その本ですが。
とにかくわかりやすい!
歴史を学ぶことの「意義」が最初から最後まで一貫していて少しもブレないのもカッコイイ。

「人間は目先の欲望には弱い動物ですから、高度成長で楽をしようという人がいつの時代でも圧倒的な多数派で・・・(p103参照)」

「先人に学べ」とは昔からよく聞きますが、教師としても反面教師としても「歴史」は本当に良い先生です。

地球上の歴史を学び、人間の変わらない本質的な部分と世界の国々のこれまでの相対的な流れを知ることによって、多面的な「眼」を養い、
これから日本はどういう方向へ流れようとしているのかを予測する。

自分の周りの情勢の流れをコントロールすることはできなくても、歴史を知って先人に学ぶことによって自分はこれからどう立ち振る舞えるのか、その方向性は見えてくると思うんですね。

その取っ掛かりとして、この本はドンピシャな本だと思いました。
「視野を広げたい」、「人任せにするのはそろそろ終わりにしなければ」。そんな気持ちが少しでもあって、まだ読まれていない方に、是非♪


2014年4月20日日曜日

「苦労を分け持つ心」


最近は少しバタバタしているので畑や庭の世話がなおざりになってしまってます。
でも、昨年咲いた花の種が落ちて、また花をつけてるのを今朝見つけて、ちょっと嬉しくなりました♪

いつもの仕事に加えて、今はミュージカルの仕事もあって、起きる時間が普段より少し早いので
毎朝聞いてるラジオも、いつもより早い時間帯の番組です。

その番組内で毎回、ほんの数秒ですが「瀬戸内寂聴さん」の言葉が流れます。
先日、朝の準備をしながら耳に入り込んできた言葉が

「人の役に立てなくても、
 苦労を分け持つという意識を持ってください。」

ほんとに、スーッと心に響く素敵な言葉だと思いました。
「苦労を分け持つ」。
こういう心を地球上の全ての人が少しでも持てたら、小さな争いも大きな争いも、なくなっていくかもしれないなぁと。

人を手助けできたり支えたりできた時、その後に湧き出てくるジンワリした心の温かみは他の何にも代えられない幸福感です。
「苦労を分け持つ」ということは、そういう幸福感を直に感じられるかどうかはわかりませんが、巡り巡っていつか世の、人の役に立っていくことだと思います。

心に余裕のない時は難しいと思いますが、余裕のある時だけでもこの言葉を思い出せると、きっと人生の幅も少しずつ広がっていくんじゃないかと思うんですね。

早起きして、こんなに素敵な言葉に出会えるなら、早起きも悪くないなと思いました♪

2014年3月12日水曜日

3.11「東日本大震災」によせて。2014


私は関西出身で、東京に出てきたのは大学卒業後数年経ってからなんですが。
「人としての基礎」もできてないままフリーの世界で生き始めたものだから、右も左も分からない状態で、本当にいろんな所でたくさんの人に迷惑をかけ、たくさん頭を打ち、人の温かさや冷酷さを肌で感じながら、なんとか今までやってこられました。

そんな中、震災があって、いろんな感情に脳を支配されそうになりながらも、まずは自分の考え方を根本的に見直さなければならないと思いました。
そして、もっと物事を深く広く捉えられるように「人としての確固たる基盤」を持ちたい、と「心の勉強」を始めました。

「脳」「哲学」「死生論」「家族論」「青少年の心理」「終末期医療現場にたずさわる方々の心理」・・・等々。
最初はそういう本を読み始め、それだけでは飽き足らず、ついには大学で講義を受けたことは、このブログでも少し書きました。

そうしていくうちに、自分の人生にとって「何が必要で、何を大事にしていきたいのか」がハッキリしたように思います。
そして。
自分の心の基盤に自信がついたせいか、人からの評価があまり気にならなくなり、自分も人を評価するということがなくなってきました。

すると不思議なことに、人との関係も心地の良い関係が増えてきたように思います。
心を通い合わせられる人との出会いが増えてきたというか。
あと、密かに感じていることは、もしかしたら自分が奏でる音や演奏にも微妙な変化が起きているかもしれません。
この前、仕事で5時間にもおよぶJAZZとFUNKの大セッションがあったのですが。
けっして音環境が良かったわけではなく、トイレ休憩を挟みながらもほぼ5時間ピアノを弾きっぱなしだったけど、他のメンバーの音との交わり感が凄く気持ち良くてですね。
久しぶりに、本当に久しぶりに、もの凄く楽しくて幸せな時間でした。

これは、「自分が変われば周りも変わる」ということの実体験ですね♪

もう一つ。
私の中での大きな変化は、心のどこかでいつも追い求めていた「志」が見えてきたことです。
それは
受け継いだり学んだ事を伝え繋げ、人として培った大切なモノを少しでも次世代へ受け渡していく為に、自分の人生を使いたいと思うようになったこと。

これは大人として当然といえば当然なのですが、より現実的な「志」として心に強く持つようになりました。

その為にできる精神的な事は、
「自分の心の扉」をできるだけ大きくしていくために「知っていくこと」。
「知らない、知ろうとしないこと」は無駄な負の感情(不安や怒り、妬み等)に繋がると思うので。
そしてなるべく「学ぶべきところは学ばせて頂く」という気持ちで人と関わっていくこと。

そして物理的な事は、いろんな子供達との関わりを持てる機会を模索していくこと。

昨年、このブログに書いた【3.11「東日本大震災」によせて】からまた1年、ほんの少し前へ進めた気がします。

2014年2月13日木曜日

脳を作る。


最近、老人ホームの慰問ステージの仕事をさせて頂く機会がありまして。
フルートとピアノのデュオで童謡、昭和歌謡、ジャズ等、なるべく一緒に歌ってもらったり手拍子してもらえるように工夫してやってみました。

演奏後、数人のご老人とお話させて頂いたのですが、喜んで頂けた上に、曲に因んだ想い出話も聞かせていただいたりして、お一人お一人の人生を少し垣間見せてもらったようで、嬉しいような愛しいような、なんとも不思議な気持ちになりました。

ただ、少し気になった事があります。
たくさんの施設を訪れたわけではないので一概には言えないかもしれませんが。

老人ホームのご老人の中には大きく分けると、介護が必要でも「なるべく前向きに生きようとされる方」と「何かもう諦めたように与えられる事だけをこなしている方」がいらっしゃるように思いました。

そのモチベーションの持ち方の違いは何なのだろうと後になって思い返してみると。
生き方が前向きに見えるご老人は、あくまでも話した印象ですが、「考えること」や「工夫すること」にあまり抵抗を感じていらっしゃらないのでは、と。

「もう年だから無理。」という言葉を時々聞きますが、これは、もしかしたらご本人がそう思い込んでらっしゃるだけで、そう思い込むことで「何かできるかもしれない可能性」を自ら放棄しているようにも感じます。

では、その「考える力」や「工夫する力」はどこから生まれるのかを私なりに考えてみると。
それは、普段の生活や仕事で、そういう「脳」を少しずつ作っていく事ではないかと、思い至りました。

例えば。
習慣化してしまっている家事のやり方でも、少しの工夫で劇的にやりやすくなったり時間短縮できたり。
(私は百円ショップのお掃除コーナーや収納コーナーで、よくその刺激をもらってます。)
こうしたほうが見た目に気分が上がる、ここにコレを置いておけば何かのついでにチャチャッとできそう、とか。

ジャズピアノの訓練も、少し似た所があります。
白鍵と黒鍵を自由に操れるように「脳を少しずつ作っていく作業」というのがジャズピアノには不可欠で、その作業も基本以上へ進もうと思うと、「こうしてみるとイケるか?」とか「こう訓練すると応用範囲がひろがるかも」というように自分で工夫していかなければ発展していけません。
そういう私もまだまだ発展途中ですが。

高齢者人口が今後もますます増えていくとされる日本で、「誰かに守ってもらえる」「誰かに与えてもらえる」というような考えは、遅くとも私の世代が高齢者になる頃には通用しなくなってると思います。
自分の人生を充実した人生にしていけるかどうかは自分次第で、高齢者になってもそれは変わらないと思うんですね。

日々のちょっとした工夫で、なるべく楽しみながら「脳を作り育てて」しなやかな脳にすることによって、ひょっとしたら老後の人生も大きく変わってくるかもしれないなぁと、慰問ステージをやって思いました。

2014年1月24日金曜日

グリーンスムージー1周年、経過報告♪


実は、昨年の1月24日から毎日、グリーンスムージーを作って飲んでいます。
この1年で、どうしても作る時間がなくて飲めなかった日は7、8日ぐらいかな。

「グリーンスムージーを飲んでます」っていうブログは時々見かけますが
その効果というか、実際に身体にどんな変化があったというブログはあまり見かけないので、
ちょいと載せてみることにしました。

まず劇的に変わったと実感していることは、「立ちくらみ」をしなくなったということ。
グリーンスムージーを始める前は、壊れたテレビの砂嵐のような立ちくらみをよくしていたのですが。
今は全くなくなりました。

次に効果を感じているのは、便秘をしなくなったということ。
飲み始めて6ヶ月ぐらい経った頃、毎日安定して快腸なことに気がつきました。
そのせいか、顔の頬骨辺りの肌に艶が出てきて、今では吹き出物とはほぼ無縁に♪

そして、これはかなり個人差があって、女性同士でも理解し合えないことがありますが。
私は生理痛がかなり楽になりました。
これはグリーンスムージーを飲み始めて8ヶ月ぐらい経った頃から、鎮痛剤を飲まなくてもなんとかやり過ごせるようになりました。

今のところ実感しているのはこれぐらいかな。

ということで、私のグリーンスムージーのレシピを載せておきます。ご参考まで。

〈グリーンスムージー 2人分〉

・リンゴ半分
・バナナ1本
・黒すりごま 大さじ1杯
・サトウキビ原料のオリゴ糖シロップ 大さじ1~2杯
・小松菜1株強(たまに水菜に変えたりします。)
・水 約350cc

以上をジューサーで1分ぐらい粉砕して、出来上がり♪

ちなみに、小松菜は値段が安い時に2、3袋買って、薄い酢水でつけ置き洗いし(5分ぐらい)
野菜水切りカゴで水気を切った後、長さを3~4等分に切り分けてジップロック等の保存袋に入れて冷凍保存します。
これで10日間ぐらいは使えます。

私はサプリメントは苦手なので、こういう手軽な食材でできるジュースは合っているのかもしれません。
おばあちゃんになっても元気に気持ち良く生きていける身体作りを、今後も無理のない程度に続けていきたいと思います♪


2013年12月29日日曜日

徒然草


つれづれなるままに、ひぐらしすずりにむかひて、こころにうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなくかきつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。

小学生の頃に丸暗記した記憶がありますが、当時はその意味を理解しようという気が起こらず、そのまま時が過ぎてしまいました。

今思うと、それは本当にもったいない事でした。
先日、本屋さんで何気なく手にとって中をパラパラッと見てみると、なんとも興味深そうではありませんか。

読み終わった今、この本は自分の生き方を考えるにあたって「良き友」のような存在になっています。

700余年前に、こういう事を考え、人間というものの奥底をじっと見つめ続けて、そしてそれを書き残してくれた大先輩がいらっしゃったなんて。
全部で二百四十三段から成るこの「徒然草」を書いた吉田兼好さんは、人生を達観した所がありながらも、自分の中に存在する「俗っぽい部分」にも眼を背けることなく、しっかりと自分と向き合っておられるところに好感が持てました。

中でも「生と死」に関する段や「人というものの趣」に関する段は本当に心に沁みます。

「自分がなすべきことを自覚している人間にとって、人生は短い。しかし、自覚しない人間にとって人生は長い。」(第百八十八段、解説参照)

どう考え、どう生きればいいのか。
この「徒然草」には、その「人生を生きるコツとヒント」がたくさん詰まっています。

この角川ソフィア文庫の「徒然草」は、格段ごとに、まず現代語訳で書いてあって、その後に原文があって、その後に解説が書いてあるので非常にわかりやすかったです。

新年を迎えるにあたって、心新たにスッキリしたい方にオススメです。読んだことのない方は是非♪


2013年11月9日土曜日

育てる♪


会った時、目を見て話して、お互いの心を気遣い、そして、人として、お互いにより良く生きていきたいと思い合える。
そんな友人がいます。

出会いは大学生の時だから、もうかれこれ20年ほどの付き合いになります。
出会った最初から、今みたいに仲が良かったわけではありません。
若い女子にありがちな、物事を上下に見て、妙なライバル心を持ったり、無駄な張り合いもたくさんしました。

ただ、その子は「真のイジワル」ではなかったです。
たまにイジワルを言う時も、どこか「本当はこんな事言いたくないのに。」って顔しながら言ってた。
そういうところは「憎めないヤツ♪」って、思っていました。

大学を卒業して、お互いに「夢に向かってまっしぐら」な時期が数年あって、社会に出て仕事も持って。
偶然に私とその子の仕事の現場が同じ県であって、「じゃ一緒にご飯でもしよっか」って事が何回か重なって、いつの間にか年に数回、約束をして会うようになりました。

彼女との付き合いの中でわかってきたこと。
それは、「関わり合い」というものは育てていけるものだということです。

最初は、ほんの少しの心の気遣いから。
そのうち自然に「ありがとう」という言葉が会話の中に増えていったように思います。

どんなに無様で情けない私を見せても、その無様な情けない私の存在を丸ごと受け入れてくれる。
今、彼女との関係の中には、そういう安心感があります。
そして私も、彼女がどんな状態になろうと、その存在を受け入れたいと思っています。

そういう関係ができる過程には、もちろん「偶然」とか「縁」のようなものもあったと思いますが、やはりお互いに「この関わりを育てたいという想い」がどこかにあったのかもしれません。

もう一つ。私の中で変化がありました。
彼女との付き合いが長くなるにつれ、「彼女以外の人」との関わり方も変わってきたように思います。

酷い事をしたり言う人がいても、その時の言動だけでその人がどういう人かを決めつけてしまうのではなく。
その人が育ってきた背景や生きている環境を想像しながら、「この人もどこか苦しいのかも、寂しくて、不安なのかもしれない。」となるべく否定しない。

そういう「心」を持ちたいと思う原動力も、彼女との関係の中で培われているような気がします。

「人との関わりを育てていく」。
もしかしたら私にとって幸せの第一歩なのかもしれないです♪